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LeoN Radio Sunrise レオンラジオ日の出

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This podcast has
535 episodes
Language
Japanese
Explicit
No
Date created
2021/10/11
Latest episode
2026/09/23
Average duration
27 min.
Release period
9 days

Description

the podcast projected by 楠元純一郎&レオー。我らの文学+哲学+文化+法学。カバーアートの色で内容を区別しています。ximalayaからの引っ越し、順調に進んています。今後ともよろしくお願いいたします。

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239 中勘助 銀の匙 167(後編15④) @ LeoN Radio 我らの文学
2026/09/23
日の出ラジオ 我らの文学240 中勘助『銀の匙』168(後編15⑤)> ラジオ収録20260923 作詞作曲 楠元純一郎 OP「水魚の交わり」、ED 「遺伝子の舟」司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)。 今日はお彼岸の中日。 <<43.5万回突破記念!ありがとうございます!>>   老僧がなくなつたのはそれから三年ばかり後のことであつた。 那之后不过三年,老僧人就去世了。   私は中学へはひるし、貞ちやんは奉公にでるし、寺とはいつとはなしにうち絶えてたがある晩突然 老僧がなくなつたから といふ使がきたので私は父といつしよに悔みにいつた。 <奉公(ほうこう)→住み込みで家事に従事すること。行儀見習い。いつとはなしに→いつの間にか。うち絶えて→関係が切れて。使(つかい)→命令や任務を受けて派遣される使者(ししゃ)。お悔(く)やみ→故人の死を悼(いた)み、悲しむ気持ちを伝える行動様式。> 我升上中学,小贞工作了,不知不觉,我已经很久不去寺里玩。一天晚上,突然有寺里的人来告诉我们老僧圆寂的消息。我和父亲一起出席了他的葬礼。   老僧はこれといふ病気もなくいはば寿命がつきたので、方方の住職になつてる昔のお弟子たちがかはるがはる世話をしてたのださうだ。 <寿命(じゅみょう)が尽きた→老衰。住職(じゅうしょく)→お寺の代表。弟子(でし)→師匠について学問・技芸・芸道の教えを受ける人。かわるがわる→交替交替で> 听说老僧人生前一直由各家寺院的住持轮流照料,他们都是老僧人的弟子。而他不是病逝,只是寿命到了,自然死亡。
ラッセル『哲学の諸問題』225(『哲学の諸問題』remake:第1章10段落②)@ LeoN Radio 我らの哲学
2026/09/23
<レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 20260923通算225回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第10段落② Op.「水魚の交わり」、Ed.「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 )司会 楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)。前回収録2020812 <<レオンラジオ日の出アクセス総数43.5万回突破!>>   The colour is that of which we are immediately aware, and the awareness itself is the sensation. その色は、我々が直接知覚しているものであって、知覚それ自体は感覚である。 颜色是我们直接意识到的,而这种意识本身则是感觉。
239 中勘助 銀の匙 167(後編15④) @ LeoN Radio 我らの文学
2026/09/15
我之前从未坐得离他这么近,紧张得浑身是汗。在这天之前,我已认定老僧会像石佛一样,摇一辈子的铃;如今我目不转睛地望着他,仿佛他的一举一动都带有珍稀的意味。 老僧は大きな硯をもちだして墨をすらせ、筆をとつてさらさらと糸瓜の絵をかいた。一枚の葉と、一本の蔓と、一つの糸瓜と。 <硯(すずり)→固形の墨(すみ)を水で磨(す)って液体にする書道用具。糸瓜(へちま)→インド原産の瓜科、ツル性の一年草。蔓(つる)→地面を這う、または他のものに絡みついて伸びる「つる」。> 老僧取出一只大砚台,把墨磨开,拿起笔利索地画了一幅丝瓜。纸上画了一片叶子,一条藤蔓,一个丝瓜。   そのうへへ 世のなかをなんのへちまと思へどもぶらりとしてはくらされもせず とかき急須みたいな書判をしてとみかうみしてたが、不意にからからと笑つて「さあ、これをあげるであちらへもつておいで」といつて硯を棚にのせ、筆を洗ひ、さつさと金剛座へ帰つてもとの石仏になつてしまつた。 <とみかうみ→あっちを見たり、こっちを見たり。「世の中を 何のへちまと思えども ぶらりとしては 暮らされもせず」→世間や人生の厳しさと、それでも適当に気を抜いてばかりでは生きていけない現実を、ユーモアを交えて詠んだ江戸時代の狂歌(または俗謡)。→「世の中(浮世)なんて、へちまのように大した価値もないくだらないものだと思ってみても、だからといって何もせずにぶらぶらと暢気に暮らしていくわけにもいかない(生きていくためには働いたり、世間のしがらみに付き合ったりしなければならない)」。急須(きゅうす)→茶葉にお湯を注いでお茶の成分を抽出するための、日本で広く使われている茶器のこと。書判(かきはん)→昔の文書の末尾に自筆で書いた署名やサイン、または手書きの印影のこと。金剛坐→仏教用語でダイヤモンドのように堅固で壊れない、釈迦が悟りを開いた際の座所。> 接着又在上面题字:“我看人世如丝瓜,切莫吊儿郎当活。”他在旁边画了一个小茶壶似的花押,左看右看了一会,忽然哈哈大笑道:“好了,这个送给你,你把它带走吧。”说完他把砚台放回书架,洗好毛笔,匆匆回到自己的金刚座上,又成了一尊石佛。   私は木から落ちた猿のやうにすごすごと糸瓜の絵をもつて家へ帰つた。 <すごすごと→期待した結果が出せず、気落ちして(意気消沈して)元気がない様子でその場から引き下がる、立ち去る様子> 我像离了水的鱼一样不知所措,最后只好垂头丧气地拿着这幅丝瓜回家了。
ラッセル『哲学の諸問題』224(『哲学の諸問題』remake:第1章10段落① )@ LeoN Radio 我らの哲学
2026/09/15
<レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 20260915通算224回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第10段落① Op.「水魚の交わり」、Ed.「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 ) 司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(CUC中国語専攻・Kakehashi Studio社長)。前回収録2020812 <<レオンラジオ日の出アクセス総数42.6万回突破!>>   It will help us in considering these questions to have a few simple terms of which the meaning is definite and clear. その意味が明確ないくつかの簡単な用語があれば、これらの問題を検討するのに役立つだろう。 it to 構文 有几个意思明确的简单术语,有助于我们去考虑这些问题。 it作为形式主语,将真正的主语(从句)放在后边。   Let us give the name of 'sense-data' to the things that are immediately known in sensation: such things as colours, sounds, smells, hardnesses, roughnesses, and so on. 感覚で直接知られるもの、つまり、色、音、匂い、硬さ、肌理(きめ)の粗さなどのようなものに、「センスデータ(感覚与件)」と名づけることにしよう。 让我们将那些通过感官直接获得的“东西”命名为“感觉数据”:例如颜色,声响,气味,硬度,粗糙程度等。   We shall give the name 'sensation' to the experience of being immediately aware of these things. 我々は、これらのものについて直接知っている経験を「感覚」と名づけることとしよう。 我们把直接意识到这些感觉数据的经验,赋名为“感觉”。   Thus, whenever we see a colour, we have a sensation of the colour, but the colour itself is a sense-datum, not a sensation. かくして、我々がある色を見るときはいつでも、その色についての感覚を有するが、しかし、色それ自体はセンスデータであって感覚ではない。 data複数形 datum dataの単数形 于是,每当我们看到一种颜色,我们就有了这个颜色的“感觉”,但这个颜色本身是一种“感觉数据”,而并不是一种感觉。
238 中勘助 銀の匙 166(後編15③) @ LeoN Radio 我らの文学
2026/09/15
日の出ラジオ 我らの文学238 中勘助『銀の匙』166(後編15③)> ラジオ収録20260908 作詞作曲 楠元純一郎 OP「水魚の交わり」、ED 「遺伝子の舟」司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(社長)。 <<42.5万回突破記念!ありがとうございます!>>   そんなにして橋をわたつてゆくこともたびたびであつたけれどこの枯木のやうな隠者にはとりつくしまもない。 <とりつくしまもない→取り付く島もない→頼りにして取りすがろうとしても相手にもしてもらえないこと。けんもほろろ(頼み事を無愛想に突き放し、冷淡に断ること。> 就这样,我从那座桥上走过许多次,这枯木一般的隐士却连一点靠近他的机会都没有给我。   ところがある時またからからと鈴がなつて、いつものとほり茶碗をおいて帰らうとしたら意外にも後ろから呼びとめて「絵をかいてあげように紙を買つておいで」といつた。 然而有一次,铃铛又“咔啦啦”地响了,我像往常那样放下茶杯转身回去的时候,他竟然从身后叫住了我:“你把纸买好,我给你画幅画吧!”   私は狐につままれた気もちで唐紙を買つてきて老僧のまへに出した。老僧は根の生えたやうに坐つてる脇息のそばから立つて日あたりのいい隣の間へ私をつれていつた。 <狐(きつね)につままれた→狐に化(ば)かされたように、何が起きたのか分からずポカンと唖然とする様子。唐紙(からかみ)→中国由来の装飾紙。根の生えたように座っている→じっと座ったまま動かない様。脇息(きょうそく)→肘掛け> 我莫名其妙地买来一张有金粉花纹的纸,递给老僧人。他从那张坐到生了根似的摇椅上站起来,把我带到旁边采光明亮的房间。   部屋は悉く渋色に燻ぼつて 椿寿 と書いた小さい額がかかつてゐる。 <悉(ことごと)く→残らずすべて。渋色(しぶいろ)→燻(くす)んだ茶褐色。燻ぼって→燻(くすぶ)って→火が炎をあげずに煙ばかりを出している状態→煤(すす)ける、黒ずむ。椿寿(ちんじゅ)→長寿を祝う言葉。額(がく)→絵画や書を飾る額縁・枠。> 屋子的墙壁已经被线香熏成淡黄色,上面挂着一张写有“椿寿”二字的小小匾额。
ラッセル『哲学の諸問題』223(『哲学の諸問題』remake:第1章9段落)@ LeoN Radio 我らの哲学
2026/09/15
<レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 20260908通算223回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第9段落 Op.「水魚の交わり」、Ed.「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 ) 司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(CUC中国語専攻・Kakehashi Studio社長)。前回収録2020803 <<レオンラジオ日の出アクセス総数42.5万回突破!>>   Thus it becomes evident that the real table, if there is one, is not the same as what we immediately experience by sight or touch or hearing. このように、その本当のテーブルが、もし一つだけ存在しているとして、我々が視覚または触覚または聴覚によって直接体験するものとは同じではないということが明らかになる。 所以事情就很清楚了,如果存在有一张“真实的桌子”,那么它也和我们通过视觉,触觉和听觉所直接感受到的桌子是不一样的。   The real table, if there is one, is not immediately known to us at all, but must be an inference from what is immediately known. その本当のテーブルは、もし一つだけ存在しているとして、我々にはまったく直接知られることはないが、直接知られているものから推論されねばならないのである。 如果存在有一张“真实的桌子”,它并不为我们所直接认知,而是经由我们的直接认知而推论得出的结果。   Hence, two very difficult questions at once arise; namely, (1) Is there a real table at all? (2) If so, what sort of object can it be?  したがって、二つの非常に難解な問題がただちに生ずる。つまり、 (1)いったい本当のテーブルは存在しているのか? (2)もし存在しているとすれば、それはどんな対象でありうるのだろうか? 由此,会同时出现两个非常困难的问题,即: (1)是否存在“真实的桌子”? (2)如果存在,它会是什么样的对象?
237 中勘助 銀の匙 165(後編15②) @ LeoN Radio 我らの文学
2026/08/27
捧着漆成黑色的茶托过桥的时候,曾有一只来啄南天竹果实的小鸟慌慌张张地站上来,把茶弄洒了。   月の夜なぞに白い花がほろほろと橋のうへに散つてたこともあつた。 <ほろほろ→花びらや涙がこぼれ落ちる様子> 也曾在月夜见到白色的花纷纷扬扬落在桥上。
ラッセル『哲学の諸問題』222(『哲学の諸問題』remake:第1章7段落③)@ LeoN Radio 我らの哲学
2026/08/27
<レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 20260811通算222回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第7段落③ Op.「水魚の交わり」、Ed.「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 ) 司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(CUC中国語専攻・Kakehashi Studio社長)。前回収録20200729 <<レオンラジオ日の出アクセス総数41.6万回突破!>>   Similar difficulties arise when we consider the sense of touch. 我々が触覚について考えるときに、同様の問題が生じる。 当我们谈及触感时也会有同样的问题。   It is true that the table always gives us a sensation of hardness, and we feel that it resists pressure. テーブルはいつも我々に硬さの感覚を与えるのは事実であり、そして、我々はそれが圧力に抵抗していることを感じている。 的确桌子总是会给我们以坚硬的感觉,我们觉得它可以抵抗压力。   But the sensation we obtain depends upon how hard we press the table and also upon what part of the body we press with; thus the various sensations due to various pressures or various parts of the body cannot be supposed to reveal directly any definite property of the table, but at most to be signs of some property which perhaps causes all the sensations, but is not actually apparent in any of them. しかし、我々が得る感覚は、そのテーブルをどれほど強く押すか、また身体のどの部分で押すかにかかっている。したがって、様々な圧力または身体の様々な部分による様々な感覚は、そのテーブルのある特定の性質を直接明らかにすることはできず、せいぜい、おそらくあらゆる感覚を引き起こすある性質のサイン(記号)にすぎないように思われるが、しかし、テーブルの特定の性質は、そのような感覚のいずれにおいても、実際には明らかではない。 be supposed to ~と思われる at most せいぜい 「要するに触覚も、物の性質を特定するのに必ずしもあてにならない。」 但是我们获得的这种感觉取决于我们用多大的力道和身体哪个部位按压桌子;于是通过不同的按压桌子的力道和身体部位而产生的不同的感觉并不能直接揭示桌子的任何确定的性质,而至多是某种性质的符号,这种性质才引发了所有上述这些的感觉,但是这些感觉无论哪个都不是明确的。 depend on(upon) 取决于   And the same applies still more obviously to the sounds which can be elicited by rapping the table.  そして同様のことが、そのテーブルを叩くことによって引き出されうる音にも、より明確に当てはまる。 同样的情况也更明显地适用于敲击桌子所发出的声音。 elicit v. 引出,这里指的是我们敲打桌子的结果是“使得桌子发出声音”
236 中勘助 銀の匙 164(後編15①) @ LeoN Radio 我らの文学
2026/08/27
日の出ラジオ 我らの文学236 中勘助『銀の匙』164(後編15①)> ラジオ収録20260728 作詞作曲 楠元純一郎 OP「水魚の交わり」、ED 「遺伝子の舟」司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(社長)。 <<41万回突破記念!ありがとうございます!>>   ある日のこと貞ちやんの留守にひとりで遊んでたときに離れでれいの蜩の鈴が鳴つた。 <蜩(ひぐらし)> 有一天小贞不在,我一个人到寺里玩, 偏房里又传来蝉鸣般的铃声。   が、折あしく茶の間には誰もゐなかつたので私は思ひきつて離れへいつた。 <折あしく→タイミングの悪いことに、あいにく。> 不巧,茶室里谁也不在,我果断地去了偏房。   橋をわたつたところのうす暗い部屋には衣桁いかうに輪袈裟や数珠がかかつて香の薫がすーんともれてくる。 <衣桁(いかう)→着物を掛けておくための道具。数珠(じゅず)。薫(かおり)> 过了桥,只见那昏暗屋子的衣架上,挂着袈裟和念珠,熏香的味道沁然飘荡。   私はそこまでゆきはしたものの急に気おくれがしてためらつてゐた。 <気後れがして→相手の勢いや場の雰囲気に押されて自信をなくし、怯(ひる)んでしまうこと。> 我走到那里,忽然有点胆怯,犹豫起来。   耳の遠い老僧は足音がきこえなかつたかまたからからと鈴を鳴らした。私はやうやく襖をあけて手をついた。 <襖(ふすま)→和室の部屋の間仕切りや押入れに使う引き戸> 老僧耳背,也许是没听到我的脚步声,又“咔拉拉”地摇起铃铛。我终于拉开门,把手伸过去。   彼方はなにげなく大きな茶托をさしだしたがふと顔をみて 「おお、これはこれは」といつた。 <茶托(ちゃたく)→湯呑みの下に敷く受け皿。> 他毫不经意地将大茶托递了过来,看到我的脸吃惊道:“哦哟,是你啊……”   私は瞼をふるはせながらお辞儀をして茶托をうけとり、はづかしいやうな、嬉しいやうな、大願成就したやうな気もちで茶の間へきて見おぼえたとほりそこにある番茶をいれてもつていつた。 <瞼(まぶた)をふるはせながら→感情の高ぶりによって目元が細かく震えている様子。お辞儀(おじぎ)→深く頭を下げる礼の作法。大願成就(たいがんじょうじゅ)→長い間強く願っていた大きな夢が叶うこと。番茶(ばんちゃ)→主に収穫時期が遅く、硬くなった葉や茎を使った日本の一般的なさっぱりしたお茶。> 我紧张地鞠躬接过茶托,有些害羞,有些开心,又像是很大的愿望终于得偿。来到茶室,照之前看别人做的那样泡了一杯粗茶。 十五
ラッセル『哲学の諸問題』221(『哲学の諸問題』remake:第1章7段落②)@ LeoN Radio 我らの哲学
2026/08/27
レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 20260728通算221回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第7段落② Op.「水魚の交わり」、Ed.「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 ) 司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(CUC中国語専攻・Kakehashi Studio社長)。 <<レオンラジオ日の出アクセス総数41万回突破!>>   All these things are not commonly noticed in looking at a table, because experience has taught us to construct the 'real' shape from the apparent shape, and the 'real' shape is what interests us as practical men. テーブルを見るときには、普通これらのことはすべて気づかない。なぜならば、目に見えている形から「真実の」形を作り上げるよう経験が我々に教えてきたからであり、そして、その「真実の形」こそが、実用的な人としての我々の関心を引くものだからである。 所有这些事情在我们观察一张桌子的时候都不太会被注意,因为经验教我们从表面的形状构造出“真实”的形状,而这“真实”的形状才能引起作为实干家的我们的兴趣。   But the 'real' shape is not what we see; it is something inferred from what we see. しかし「真実の」形は我々が見ているものではない。それは我々が見ているものから推測されるものである。 但是“真实”的形状并不是我们的所见;它只是我们从我们的所见当中推断出来的。 infer v. 推断,推理得出,暗指 (无论是现在分词,过去式,都要双写r!)   And what we see is constantly changing in shape as we move about the room; so that here again the senses seem not to give us the truth about the table itself, but only about the appearance of the table.  そして、我々が見ているものは、我々が部屋の中を移動するにつれて常にその形を変え続けているのである。そのため、ここでもまたその感覚はテーブルそれ自体の真実の姿ではなく、テーブルの表相しか我々に示してくれないようである。 而且当我们在房间里走动时,我们所见的桌子形状也会不断地变化;这再一次说明,感觉似乎并未告诉我们关于桌子本身的真相,而只是桌子的表象。
235 中勘助 銀の匙 163(後編14⑤) @ LeoN Radio 我らの文学
2026/08/27
日の出ラジオ 我らの文学235 中勘助『銀の匙』163(後編14⑤)> ラジオ収録20260707 作詞作曲 楠元純一郎 OP「水魚の交わり」、ED 「遺伝子の舟」司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(社長)。 <<39万回突破記念!ありがとうございます!>>   まことにこの老僧は人間の世界とは橋ひとつをへだてて世のなかには夏になれば牡丹がさくといふことのほかなんにも知らないかのやうに寂寞と行ひすましてゐる。 <寂寞(じゃくまく・せきばく)→ひっそりと静まり返って、もの寂しい様子。すましている→何事にも動じないように振る舞ったり、集中していたり、クールな様子。> 老僧人寂寞地修行,仿佛对他来说,去往凡尘人世不过是跨过一座拱桥,而世间自有诸多琐事,除却夏天牡丹花开,他一概不闻不问。     私はいつしか子供心に老僧を敬ふ念をおこしどうかしてこの人にすがりたいと思ひはじめた。 <敬ふ→うやまう。すがりたい→すがる→頼りにして助けを求める。> 年幼时,我很敬重这位老僧,还想过追随在他身旁。   そのじぶんにはもうすつかり寺の人たちと心安くなつてたので貞ちやんのゐるゐないにかかはらず毎日のやうに遊びにいつて、年寄りのするやうに手を腰にまはして庭をあるいたり、冷たい墓地をまはつたりして、をりをり人の身のうへや自分の身のうへを思つて涙をうかめることもあつた。 <心安く→懇意である→親しくなり遠慮がいらない関係。をりをり→ときどき。身の上(みのうえ)→自身の状況や生活、個人的な事情、境遇。身の上話(みのうえばなし)、一身上の都合により(辞表の決まり文句)。涙をうかめる→涙が溜まって今にも溢れ出しそうな→涙ぐむ> 那时,我已经和寺里的人彻底混熟了,即使小贞不在也每天去玩。我像老僧那样将双手放在腰间,在庭院里走来走去,或者去冷清的墓地里转一圈,想起别人和自己身上发生的事情,有时忍不住眼含热泪。     ……私は鎖をひきずる囚人が己の姿を愧づるやうな気もちでいつもうなだれて足もとを見つめながら考へこんで歩くのが癖であつた。 <ひきずる→地面を擦りながら引っ張る。囚人(しゅうじん)→牢屋に閉じ込められている受刑者。己(おのれ)→自分。愧(は)づる→過ちを反省し恥ずかしいと思うこと。斬鬼(ざんき)に堪えない。項垂(うなだ)れて→元気がなく力なく下を向く様子。> ……我就像拖着锁链的囚犯一样自惭形秽,养成了走路时垂着头盯住脚尖思考的习惯。
ラッセル『哲学の諸問題』220(『哲学の諸問題』remake:第1章7段落①)@ LeoN Radio 我らの哲学
2026/08/27
レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 202600723通算220回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第7段落① Op.「水魚の交わり」、Ed.「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 ) 司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(CUC中国語専攻・Kakehashi Studio社長)。 <<レオンラジオ日の出アクセス総数40万回突破(408564)>>   The shape of the table is no better. そのテーブルの形に関しても状況はよくならない(見る視点によって見え方が変わるということ)。  从桌子的形状来看,情况也没有好到哪里去。   We are all in the habit of judging as to the 'real' shapes of things, and we do this so unreflectingly that we come to think we actually see the real shapes. 我々にはみな、物の「真実の」形について判断する習慣がある。そして我々は、あまりにも無分別にその判断を行うので、実際に真実の形を見ているものと考えるようになる。 我们都习惯于判断物体“真正”的形状。我们如此下意识地这样做,以致于我们倾向于认为我们看到的是事物真正的形状。   But, in fact, as we all have to learn if we try to draw, a given thing looks different in shape from every different point of view. しかし、実際、我々が絵を描こうとするときに我々がみな知っておかねばならないように、所与の物(五感でとえている物)は、異なった視点からは、すべて形が異なって見える。 但事实上,正如我们尝试画画时必须学会的事情一样,在不同的视点观察一个既有的物品时,它的形状看起来是不一样的。   If our table is 'really' rectangular, it will look, from almost all points of view, as if it had two acute angles and two obtuse angles. もし我々のテーブルが「本当に」長方形であるならば、ほとんどすべての視点から、あたかもそれには二つの鋭角と二つの鈍角があるように見えるであろう。 acute 鋭角、obtuse 鈍角 如果我们的桌子“真的”是长方形,那么几乎从所有的视点来看,它都会呈现出两个锐角和两个钝角。   If opposite sides are parallel, they will look as if they converged to a point away from the spectator; if they are of equal length, they will look as if the nearer side were longer. もし、テーブルの向かい合う二辺(対辺)が平行であるならば、観察者からは遠ざかる方向にその二辺(対辺)が一点に収斂していくように見え、その二辺が同じ長さであるならば、より近い方の辺がより長く見えるだろう。 如果桌子的相对的两边是平行的,它们会看起来像是相交于远离观察者的某一点;如果它们的长度相等,较近的那条边会看上去长一些。
234 中勘助 銀の匙 162(後編14④) @ LeoN Radio 我らの文学
2026/08/27
老僧若想喝茶便摇铃,那铃声如日本暮蝉的鸣叫。   それでもききつける者がゐなければ鉢の子のやうに茶碗を手にうけとことこと橋をわたつて自分で茶をいれてゆく。 <鉢の子→仏教の修行僧(托鉢僧)が、施し物(米や金銭)を受けるために首から下げるお椀のこと。とことこ→ゆっくり、のんびり、軽やかに可愛く歩く様子。> 如果没人听到铃声,他就托起一只钵子似的茶杯,迈着小碎步过桥自己倒茶。   また時たま仏事によばれて頭巾を阿禰陀にかぶり、かた手に数珠、かた手に杖をついてとぼとぼと歩いてゆく姿をみる者はこの見すぼらしい坊さんがなにかの時には緋の法衣をきる人だと思ふ者はなかつた。 <仏事(ぶつじ)→仏教に基づいた儀式や行事全般。法事は亡くなった人を供養するための仏教行事で仏事の一部。頭巾(ずきん)→布を折りたたんで袋状にして頭に冠(かぶ)るもの。阿弥陀に被り→帽子などを深く被らず、前を上げて、後ろに傾けて浅く被ること。数珠(じゅず)。とぼとぼと→元気がなく、弱々しく、力なく歩く様。見窄(みすぼ)らしい→外見や身なりが貧弱で貧相で見苦しい、情けない様子。緋の法衣(岩波文庫のルビは「ひのころも」→仏教の僧侶が身につける鮮やかな赤色の法衣。> 偶尔有人叫他去做法事,他便戴上头巾,一手拿念珠,一手拄手杖,步履蹒跚地出门。谁也想不到这个寒碜的和尚在有人需要他时,会穿上绯红的法衣。
ラッセル『哲学の諸問題』219(『哲学の諸問題』remake:第1章6段落①)@ LeoN Radio 我らの哲学
2026/08/27
レオンラジオ日の出 <我らのラッセル哲学 Remake版1> 202600707通算219回『哲学の諸問題』"The problems of philosophy" by Bertrand Russell" 第1章第6段落① 前回ラジオ収録20200708 OP「水魚の交わり」、ED 「遺伝子の舟」(作詞作曲 楠元純一郎 ) 司会 なんだかんだぱんだ楠元純一郎(東洋大学教授・法学者) 中国語翻訳・朗読 レオー(録音師・中国大慶美術教師) 中国語監修 冯宪中(国際経済学博士) 朗読・読解者 松尾欣治(哲学者・神田外語学院社会学非常勤講師)読解者 福留邦浩(日本経済大学教授・国際関係学博士)、畠山果也(CUC中国語専攻・Kakehashi Studio社長)。<<39万回突破。ありがとうございます!>>   The same thing applies to the texture. 同様のことは素材(生地)にも当てはまる。 同样的情况也适用于谈论它的质地。   With the naked eye one can see the grain, but otherwise the table looks smooth and even. ある者は、肉眼でその木目(もくめ)を見ることができるが、それ以外は、テーブルは滑らかで平ら見える。 虽然用肉眼可以看见桌子的纹理,但是另一方面,桌子看起来是平滑的。     If we looked at it through a microscope, we should see roughnesses and hills and valleys, and all sorts of differences that are imperceptible to the naked eye. もし我々がそれを顕微鏡で見たら、肌理(きめ)の粗さ、丘や谷(でこぼこ、凹凸=おうとつ、起伏)が見え、肉眼では知覚できないあらゆる違いが見えるはずである。 如果我们通过显微镜观察,我们会看到桌子的粗糙,高山低谷的模样(高低起伏),以及肉眼看不到的各种差异。     Which of these is the 'real' table? We are naturally tempted to say that what we see through the microscope is more real, but that in turn would be changed by a still more powerful microscope. これらのうち、いったいどれが本当のテーブルなのであろうか?我々は顕微鏡で見ている物がより本物であると自然に言いたくなるところであるが、今度はもっと高性能の顕微鏡を使えば、我々が見ている物がまた変わってしまう。 ※ tempt ~を誘惑する、~にその気にさせる 到底哪个是“真实的”桌子?我们当然会想说通过显微镜看到的总会比较真实一些,可是反过来,这又会被一只更强力(高倍数)的显微镜所改变。     If, then, we cannot trust what we see with the naked eye, why should we trust what we see through a microscope? そこでもし、我々が肉眼で見たものを信用できないならば、顕微鏡で見たものをどうして信用すべきというのであろうか? 那么如果我们不能相信我们用肉眼看到的,我们又凭什么可以相信我们通过显微镜观察到的一切?   Thus, again, the confidence in our senses with which we began deserts us.  こうしてまた、我々が感覚に対して抱き始めていた自信は失われるのである。 ※ desert 見捨てる、放棄する desert 砂漠、荒野、 砂漠のような、不毛の dessert デザート、食事の後の甘い物 于是,我们那始于感官的自信又一次抛弃了我们。
233 中勘助 銀の匙 161(後編14③) @ LeoN Radio 我らの文学
2026/05/28
七十七岁的老僧人就埋首于此,除了早晚诵经,平时什么声音也没有。   私たちはただいつとはなしに隙をもれてくる薫物のかをりによつてそこに石のごとくにしづまりかへつた人のゐることを知るばかりであつた。 <いつとはなしに→いつの間にか、知らない間に。隙(ひま。すき?)。薫物(たきもの)→沈香(じんこう)や白檀(びゃくだん)などの香木や香原料(前掲のほか、丁子(ちょうじ)抗菌殺菌抗炎症局所麻酔作用)、麝香(じゃこう)ジャコウジカの分泌物を乾燥させた官能的なムスクの香り)を粉末にし、蜂蜜や梅肉などを練り合わせて丸めたお香(練香ねりこう)> 我们只能从门缝间偶然飘出的熏香味道,得知那个像石头一样一动不动的人在那里。

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