1775355312
高千穂さんのご縁です。

Advertise on podcast: 高千穂さんのご縁です。

This podcast has
84 episodes
Language
Japanese
Publisher
RKKラジオ
Explicit
No
Date created
2024/10/22
Latest episode
2026/02/04
Average duration
9 min.
Release period
7 days

Description

仏教にまつわる色々なお話を、分かりやすくお話していただく番組です。仏教由来の言葉、豆知識、歴史、迷信、風習、教義、作法などなど。 出演は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正さん。お相手は、丸井純子さん。 お悩み相談もメールで受け付け中![email protected] ▼メール [email protected] ★地上波ではRKKラジオ(熊本)FM91.4    AM1197で、毎週水曜日 午後6時10分から放送中。是非生放送でもお聴きください。

Unlock 高千穂さんのご縁です。 podcast Email contact info,
Listeners & Audience details

Email contact information

Direct podcast contact details

Listeners

Audience numbers & engagement insights

Audience details

Podcast Insights

Podcast episodes

Check latest episodes from 高千穂さんのご縁です。 podcast


【動物と仏教】──身近な命との向き合い方
2026/02/04
🔶ペットという身近な命とのご縁 現在、日本で飼育されている犬猫の合計数は約1,600万頭にのぼり、15歳未満の子どもの数(約1,435万人)を上回っています。それだけ動物という存在は、私たちの日常生活において身近な「命のご縁」となっているのです。仏教の視点から動物を考えるとき、そこには「迷いの中に生きる存在」という厳しさと、「尊い平等な命」という慈しみの両面が見えてきます。 🔶六道輪廻における畜生道という世界 仏教には、迷いの世界を六つに分けた「六道輪廻(ろくどうりんね)」という教えがあります。動物は「畜生道(ちくしょうどう)」に分類され、本能(欲)のままに生き、楽しみが少なく苦しみが多い世界とされています。これを「愚鈍(ぐどん)に生きて真理を知らない」という意味で「愚痴(ぐち)」とも呼びます。人間とは異なる迷いの形を生きる存在として、まずはその違いを見つめる立場があります。 🔶シビ王の物語にみる命の平等 一方で、動物を人間と「同じ救いの対象」として尊ぶ見方もあります。古くから伝わる「シビ王(しびおう)」の物語では、タカに追われたハトを救うため、シビ王が自らの肉を切り、ハトと同じ重さ分をタカに与えて両者の命を救いました。これは「命の重さに人間も動物も区別はない」という仏教の平等観を象徴しています。命に優劣をつけない、慈悲のまなざしがここにあります。 🔶親鸞聖人が説く命の繋がり 浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は、著書『歎異抄(たんにしょう)』の中で「一切の群生(ぐんじょう)は、みなもって世々生々(せせしょうじょう)の父母(ぶも)兄弟(きょうだい)なり」と述べられました。生きとし生けるものは、幾度も生まれ変わりを繰り返す中で、かつて自分の父母であり兄弟であったかもしれない存在だという教えです。目の前の動物を、他人事ではない深い縁(えにし)ある命として受け止める姿勢を説いています。 🔶他の命に支えられているという自覚 私たちは、他の命をいただくことで生かされています。詩人の金子みすゞさんは、その詩「大漁」の中で、浜が祭りのように湧く一方で、海の中では何万ものイワシの弔いがあるだろうと詠みました。近年注目される「アニマルウェルフェア(動物福祉)」の考え方も、単なる愛護にとどまらず、私たちの生活を支えてくれる動物たちのストレスを減らし、尊厳を守る取り組みです。こうした具体的な配慮の中に、平等を育てる一歩があります。 🔶今週のまとめ 現代社会において、動物は子どもより数多く存在するほど、人にとって身近な命のご縁となっています。 仏教では動物を「畜生道」という迷いの存在と見る一方で、等しく尊い平等な命としても捉えます。 親鸞聖人は「すべての命はかつての父母兄弟である」と説き、命の境界を超えた繋がりを示されました。 私たちは他の命に支えられて生きていることを自覚し、動物への配慮や制度づくりに関心を持つことが大切です。 阿弥陀如来の救いはすべての命に届いており、共に仏となる道を歩む「いのち」であることを忘れてはなりません。 次回テーマは「繁栄(はんえい)」です。どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。
【現代の葬儀】──変わりゆくかたち、変わらない意味
2026/01/28
🔶宮型霊柩車の激減とその背景 かつて葬送の象徴だった、金飾りの施された「宮型霊柩車」が姿を消しつつあります。2003年には全国で2,000台以上が走っていましたが、現在は10分の1の220台ほどにまで激減しました。その背景には、近隣住民から「自宅の前を通るのは縁起が悪い」という苦情が寄せられるなど、死を忌み嫌い、遠ざけようとする意識の変化があります。現在では全国150以上の自治体で、火葬場への宮型霊柩車の乗り入れが制限されるようになっています。 🔶葬儀の場と家族のかたちの変遷 葬儀の簡素化は、社会構造の変化と深く結びついています。かつては自宅で執り行われ、地域住民が列をなす「葬列」がありましたが、明治時代に葬儀社が誕生し、やがて葬儀会館での式が一般的となりました。三世代同居から核家族化、そして単身世帯が約半数を占める現代において、住環境(マンションなど)の変化もあり、葬儀のかたちが変化していくのは時代の必然とも言えます。 🔶死を「縁起」で捉える心への問い 霊柩車を「縁起が悪い」と避ける心理の根底には、死を恐れ、穢れ(けがれ)として遠ざけたいという人間の感情があります。しかし、仏教(浄土真宗)では、死を穢れとは捉えません。そのため、葬儀の後に「清めの塩」をまく習慣もありません。亡くなった大切な方を穢れとして扱うのではなく、最後までその命の尊さに敬意を払い、感謝の心で送ることを大切にします。 🔶葬送儀礼が持つ本来の意味 葬儀や通夜、火葬といった一つひとつの儀礼には、深い意味が込められています。霊柩車のルーツが「葬列」にあるように、それは亡き人を丁寧にお送りする真心のかたちでした。形式が質素になること自体は時代の流れですが、その奥にある「意味」まで失われてはなりません。儀礼を簡略化する現代だからこそ、私たちが何を大切にすべきかを改めて見つめ直す必要があります。 🔶死別を「自己の命」に向き合うご縁に 仏教において葬儀とは、単なる別れの儀式ではありません。亡き人が「仏さま」となられ、新たなる関係が始まる場です。死を終わりと見るのではなく、死別という出来事をご縁として、今を生きる私が「自らの命」を見つめ直す。死を恐れるだけでなく、自分もいつか終わりゆく命であることを受け入れていく。そのまなざしを持つことが、亡き人への敬意となり、私たちの生きる力となります。 🔶今週のまとめ 宮型霊柩車は全盛期の10分の1に激減。死を遠ざける社会心理や自治体の規制が影響しています。 社会や家族のあり方が変化し、葬儀の場は「家」から「会館」へと移り、簡略化が進んでいます。 浄土真宗では死を穢れと見ないため「清めの塩」は使いません。命の繋がりを尊びます。 葬送儀礼の形式が変わっても、そこに込められた「亡き人を送る意味」を忘れてはなりません。 葬儀は死別を機に、自分自身の命のあり方に向き合う大切な「ご縁」の場です。 次回テーマは「動物と仏教」です。どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。
【丙午と「迷信」をほどく】 — 親鸞の視点で考える一年の心得
2026/01/21
🔶 今回のテーマ 今週は「迷信」を取り上げます。なかでも話題に上がりやすい丙午(ひのえうま)と出生数の揺れ、その背景にある物語、そして仏教的な受け止め方を整理します。 🔶 丙午とは何か 十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合わせでできる六十通り(六十干支)のうちの一つが丙午です。 六十年で一巡するため、干支が生年に戻る年を「還暦」と呼びます。 🔶 なぜ「丙午の女は強い」という話が広まったのか 江戸期に広まった八百屋お七の放火事件を素材にした芝居や読み物が、後世の想像と結びついて「丙午生まれの女性は気性が激しい」といった根拠の薄い俗信を後押ししました。物語上の極端な行為が、出生年一般の性格づけに飛躍して結びつけられたのが問題の核心です。 🔶 数字が示す「迷信の社会的影響」 1966年(昭和41年)は丙午に当たり、前年に比べ出生数が大幅に減少した事実があります。個人の決断に社会的な思い込みが影響し得ることを示す一例です。令和の現在は状況が変わりつつありますが、不確かな通念が行動を左右する危うさは教訓として残ります。 🔶 親鸞の視点:日柄や占いに振り回される私 浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、良し悪しの日取りや占いに執着する人の姿を「悲しいありさま」として嘆いた和讃を残しています。 要点は明快です。 いい日・悪い日という恣意的な物差しに生き方を明け渡すのではなく、煩悩を抱えたままの自分が阿弥陀如来のはたらきに遇うことこそ肝要、ということです。 🔶 どう受け止めるか(実践のヒント) 迷信は「蓋をして無視」よりも、由来を知って距離を取るのが有効です。出所と論理の飛躍を知れば、必要以上に怯えたり他者を傷つけたりせずに済みます。 人生の大切な選択は、確かな情報と自分たちの意思で決める。そこに仏教でいう「今、この身に届いているはたらき」を聞きひらく姿勢が重なります。 🔶 まとめ 丙午の俗信は、物語が独り歩きした歴史的産物です。数字が示す影響を教訓に、思い込みよりも事実、そして念仏の教えに立ち返る心を大切にしたいものです。誰かの人生や尊厳を、根拠の薄い通念で狭めない——それが今年のはじめに確認したい「迷信との付き合い方」です。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂 光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井 純子(まるい じゅんこ)でした。
【いのちをめぐる報恩講と“海の循環”】 — 田崎市場から考える仏教とSDGs
2026/01/14
🔶 今回のポイント 親鸞聖人の御正忌にあわせて、御正忌報恩講の意義をたどりながら、「いただくいのち」と「生かされる私」を見つめ直します。ゲストは、海の卸売を担う 大海水産株式会社(熊本市・くまもと田崎市場) で働く幼なじみ、豊増 琢真(とよます たくま)さんです。 🔶 報恩講とは 浄土真宗の宗祖 親鸞聖人のご遺徳を偲び、阿弥陀如来の救いに遇う中心法要。起点は第3代宗主 覚如上人の『報恩講式』にさかのぼり、のちに第4代 存覚上人が整備。700年以上続く“報恩”の実践です。 🔶 “いのち”を直視する親鸞の眼 他のいのちをいただかずには生きられない私、煩悩に満ちた私。そのありのままを見つめ、「その私こそ救いの目当て」とする阿弥陀如来の本願を確かめます。科学が進んでも、生と死の根源的な問いは残ります。 🔶 田崎市場の現場から見える循環 豊増さんによると、魚は可食部が概ね半分。骨や頭など未利用部位は肥料へリサイクルして「捨てずに次のいのちへつなぐ」ルートを構築。海洋プラスチック対策にも関与し、行政と連携しながら地域発のSDGsを進めています。 🔶 三方よし × いのちの礼儀 漁師が命がけで獲った魚を卸が預かり、食卓へ届ける。売り手・買い手・世間がともに良しとなる関係は、仏教が説く「いのちが縁で支え合う」世界観と響き合います。食べられない部位も無駄にしない——それが“いのちへの報恩”です。 🔶 まとめ 御正忌報恩講は、私が他のいのちに生かされている事実を思い起こす場。海の恵み一皿にも無数のはたらきが通っています。無駄にせず次へ渡す。日常の小さな選択に、報恩は宿ります。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂 光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井 純子(まるい じゅんこ)。 ゲストは 大海水産株式会社(熊本市・くまもと田崎市場) の 豊増 琢真 さんでした。
【海と仏教】——“二つの海”が出会うところ
2026/01/07
新年最初の放送は、海の卸売を担う「大海水産株式会社」(熊本市・くまもと田崎市場)で働く幼なじみのゲスト、豊増琢真さんを迎え、「海と仏教」を語りました。 仏教には海をめぐる二つのイメージがあります。ひとつは尽きない迷いを示す煩悩の海。もうひとつは、限りなく広がる阿弥陀如来の大いなる慈悲をたたえる海。 相反するようでいて、実は同じ海の比喩であり、清濁を抱きとめる大きなはたらきの中に、迷いも救いも包まれていくと考えます。 🔶田崎市場から食卓へ——“いのち”を受け渡す現場 大海水産は熊本の台所・田崎市場で、県内外や海外から届く魚介を見極め、飲食店や家庭へ届けています。豊増さんの実感として、近年は海水温の上昇により水揚げの時期や漁場のずれが目立ち、北海道でブリが上がるなどの変化も体感しているとのこと。漁師が命がけで獲った魚を預かり、消費者に手渡す——現場はいつも“いのち”の重みと向き合っています。 🔶海を守ることは、いのちを守ること 海洋プラスチック問題など、海の環境悪化は魚の生存そのものを脅かします。会社としては寄付や行政との連携に取り組み、廃棄物の抑制や啓発にも協力。仏教が説く「私たちは他のいのちに生かされている」という視点に立てば、環境保全は信仰や倫理の実践とも重なります。 🔶「いただきます」の意味をもう一度 パックの切り身の向こう側には、海のいのち、漁の危険、流通の労苦、数えきれない人の手があります。「いただきます」は、その総体へ向けた感謝の言葉。仏教の言葉でいえば、煩悩の海を生きる私が、慈悲の海に照らされて「いのちの縁」をいただく営みです。 🔶今日のひとこと 広大な海に生かされる私たち。迷いも救いも同じ大海に抱かれている——そう受け止めると、目の前の一皿が少し違って見えてきます。 🔶今週のまとめ 海は迷いの比喩でもあり、慈悲の比喩でもあります。 田崎市場の現場から見える環境変化は、海を守る責任を私たちに突きつけます。 「いただきます」は、いのちの受け渡しに対する感謝の宣言です。 来週は「いのち」をさらに掘り下げます。どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂 光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井 純子(まるい じゅんこ)でした。
【大晦日を味わう】——言葉の由来と「除夜の鐘」の意味
2025/12/31
🔶大晦日・晦日・つごもり 「晦日(みそか)」は本来、月の30日を指しましたが、のちに月の最後の日という意味になりました。 「大晦日」は年の最後の日、12月31日です。 「つごもり(晦)」は太陰太陽暦で月末に月が隠れることから生まれた語とされます。 🔶「師走(しわす)」の語源(諸説) 「僧が走るほど忙しい」という説が知られますが定説ではありません。 「年が果てる(年果つ)」が変化したという説、四季が極まるを語源とする説など、いずれも年の瀬の慌ただしさを映す説明です。 🔶除夜の鐘と「除夜会(じょやえ)」 「除夜」は大晦日の夜のこと。古い年を除き新しい年を迎える意です。 浄土真宗本願寺派(西本願寺)では、除夜会や元旦会などの法要が営まれます。寺院によっては鐘を撞きます。 🔶なぜ108回なのか 有名なのは四苦八苦の合計という説明です。4×9+8×9=108 もう一つの説明は次の組合せです。六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)に三つの受(楽、苦、不苦不楽)と二つの状態(染、清)と三つの時(過去、現在、未来)を掛け合わせ、六×三×二×三=108とする考え方です。 ただし浄土真宗の自覚としては、煩悩は108で数え尽くせません。人は煩悩具足の凡夫であり、いのちが終わる時まで煩悩は尽きない存在です。だからこそ鐘の響きに自分のありのままを聞き、新しい一年に念仏のご縁を結び直します。 🔶年末の寺の景色 十二月は各家で営むお取越報恩講などがあり、僧侶も慌ただしくなります。 帰省に合わせた墓参や寺参りも増え、師走の空気が境内に満ちます。 🔶今週のまとめ 晦日、大晦日、つごもりはいずれも月や年の締めを示す言葉です。 除夜会は古い年を除く法要で、108という数え方には複数の説明があります。真宗の立場では、数え切れない煩悩を見つめ直す機縁として受けとめます。 鐘の音を縁に、悔い改めと感謝で一年を締め、新たな年に念仏の一歩を踏み出しましょう。 来年最初のテーマは「海と仏教」です。どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。
【クリスマス・イブに寄せて】――日本人の宗教観と「信じる」力
2025/12/24
🔶今週のテーマ 12月24日の「クリスマス・イブ」を手がかりに、日本人の宗教行動、科学と宗教の関係、そして“人間はなぜ信じるのか”を考えます。 🔶「イブ」は“前夜祭”ではなく「その夜」「イブ(Eve)」は evening(夕べ) の古い形に由来し、12月24日の夜 を指します。日本では“前夜祭”的に受け止められがちですが、本来は「クリスマスの夜」という意味です。 🔶日本人の宗教行動の特徴 クリスマスを祝い、結婚式はチャペルで、葬儀は仏式、正月は神社へ――複数の宗教文化が生活の中で共存しています。文化庁『宗教年鑑』や統計数理研究所の調査でも、「自分は無宗教」と感じながら 宗教的行事には親しむ 傾向が示唆されます。これは「特定宗教への強い帰属」より、行事や文化を通じて“宗教性”に触れる日本的なあり方と言えます。🔶科学と宗教――二項対立ではなく並び立つもの 科学は「どう働くか」「何が起きているか」を説明し、人類の知を拡張してきました。しかし 「なぜ生まれ、死んだらどうなるのか」 といった究極の問いは、科学の方法だけでは答えきれません。だからこそ、科学の営みと宗教の応答は並び立つ。両者は互いの領分で人間を支えます。🔶“人間は苦悩する管”という比喩 パスカルが「人間は考える葦」と語ったように、別の言い方をすれば人間は悩まずにいられない存在。欠けやすく、揺れやすいからこそ、人は何かを信じ、寄る辺を求める。この“信じる力”が文化や祈りを生み、季節の行事を温めてきました。🔶仏教から見た“平等”の眼差し 先週までの流れとも響き合いますが、仏教は すべてのいのちは等しく尊い と観じます。「信じる」という営みは、弱さの証明ではなく、人間らしさのあかし。そこに救いの道が開かれます。🔶今週のまとめ 「イブ」は24日の“その夜”。日本の宗教行動は多宗教的で、無宗教と宗教性の両立が日常に見られます。科学と宗教は対立ではなく相補。人は究極の問いに向き合うとき、信じる力を必要とします。だからこそ、季節の祈りを大切に――「揺れる私を支える“よりどころ”」として。次回のテーマは「大晦日のお話」です。どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。
【終活】のお話 ~仏教の視点で見直す~
2025/12/17
終活を仏教の視点で見直します 🔶終活の目的を整理します 終活は、人生の終わりに向けて準備する活動です。残される人への負担を減らし、自分自身の不安を和らげ、人生の集大成を整える時間でもあります。 🔶終活で整える主な項目 物や人間関係の整理(片づけ、連絡先の整備) 財産の整理(相続・生前贈与・口座や保険の確認) 医療・介護の意思表示(延命の可否、在宅/施設の希望など) 葬儀・埋葬の方針(形式・喪主・菩提寺・お墓/納骨堂/合葬墓/散骨 など) 書面の準備(エンディングノート、遺言書) 🔶変わる葬儀・お墓のかたち 家族葬、直葬、1日葬など多様化が進み、墓所も合葬墓や納骨堂など選択肢が広がっています。背景には、同居の減少や住居事情(仏壇を置きにくい間取りなど)といった社会構造の変化があります。 🔶「伝える」終活――情報共有が要です 菩提寺(ぼだいじ)の所在・連絡先、先祖の墓所・納骨先 葬儀社の希望、喪主・連絡リスト、形見分けの意向 エンディングノートに書くだけでなく、家族と対話して共有しておくことが大切です。書面に残らない「経緯・思い」も会話で伝わります。 🔶浄土真宗から見た核心――『白骨の御文(はっこつのごもん)』 蓮如上人(れんにょ しょうにん)の『御文(=本願寺派では『御文章(ごぶんしょう)』)』は、いのちの無常を静かに示します。 「朝には元気な人が、夕べには白骨となる身」――だからこそ、阿弥陀如来(あみだ にょらい)の救いに遇(あ)い、念仏を申す道を聞き開いていくことが肝要だと説きます。 終活は手続きや物の整理にとどまらず、「いのちの行方」を聞き、今を生き直す仏縁の機会でもあります。 🔶実践のヒント(チェックリスト) 菩提寺・墓所・過去帳の確認/連絡先を家族で共有した 医療・介護・葬儀の希望を書き出し、家族と話し合った 財産目録・重要書類の所在を一箇所にまとめた エンディングノートと遺言書(必要なら公正証書)の使い分けを理解した 仏事の基本(枕経・通夜・葬儀・年忌法要の流れ)を菩提寺に相談した 仏さまの教えを聞く場(ご法話・報恩講など)に足を運ぶ予定を入れた 🔶今週のまとめ 終活は「残すための整え」と同時に、「今を生き直す学び」です。 社会の変化で葬送の形は多様化。だからこそ情報共有と対話が重要です。 浄土真宗の要は、無常に目覚め、阿弥陀如来の救いを聞き開くこと。手続きの準備と、ともに歩む心の準備を両輪にしましょう。 🔴次回のテーマは「クリスマス・イブに寄せて」です。どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。
【仏教と人権】──「仏のまなざし」で平等を考えます
2025/12/10
🔶世界人権デーの由来を押さえます 12月10日は世界人権デーです。これは1948年(昭和23年)12月10日、パリで開かれた国連総会で「世界人権宣言」が採択されたことに由来します。宣言は前文と30条から成り、「すべての人は法の下に等しく保護される」ことなど、基本的人権の尊重という原則を国際的に掲げました。第2次世界大戦下の迫害や人権侵害の反省から、「人権の保障は世界平和の基礎である」という考えが広がったのです。 🔶仏教の平等観をたどります お釈迦さまは、すべての命は等しく尊いと説きました。これは、身分差を前提にした古代インド社会において画期的な教えでした。生まれや地位に関わらず、人はみな苦(生老病死)を生きる同じ存在であり、そこに差を設けない――それが仏教の平等です。 🔶カーストと「無差別」の教えを照らします 当時のインド社会には、バラモン(司祭)・クシャトリヤ(王侯・武人)・ヴァイシャ(庶民)・シュードラ(労働者)等の身分秩序(のちにカーストと呼ばれる)がありました。お釈迦さまは、その区別を超えて出家者の集いを開き、身分や出自で価値を量らない「無差別」の実践を示しました。 🔶念仏と平等──法然・親鸞の転換を押さえます 時代が下ると、学識や財力に依る修行が重んじられ、宗教世界にも階層差が生じました。これに対し、法然上人・親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」と念仏を申す道こそ、誰にでも開かれたすぐれた行であると示しました。能力や功徳の“量”で救いが分かれるのではなく、阿弥陀如来の本願によって、どの命にも等しくはたらきが届く――ここに仏教の平等が具体化します。 🔶『仏説阿弥陀経』の蓮の喩えを味わいます 経典には「青色は青光、黄色は黄光、赤色は赤光、白色は白光を放つ」と説かれます。蓮はそれぞれの色のまま光を放ちます。仏の光に照らされた命は、ありのままの個性のまま尊く輝く、という譬えです。だれかと同じになることではなく、「違いのまま等しく尊い」――それが仏の平等です。 🔶人権と仏のまなざしを重ねます 世界人権宣言は「人間の平等」を掲げます。仏教はそこへ、さらに「いのち全体」への視野を重ねます。人も他の生き物も、互いに命をいただき合って生きる存在です。仏のまなざしに学ぶなら、差別や排除を退け、違いを違いのまま尊重する具体的なふるまい(言葉づかい、配慮、制度づくり)へと私たちの実践は導かれます。 🔶今週のまとめ 12月10日は世界人権デーで、人権尊重を国際社会が確認した日です。 仏教の平等は「仏のまなざし」に立ち、出自や能力によらず、すべての命が等しく尊いと見る立場です。 法然・親鸞は念仏の道を、誰にでも開かれた救いとして位置づけました。 『仏説阿弥陀経』の蓮の喩えは、「違いのまま等しく光る」平等のかたちを示します。 人権の実践に、仏のまなざしを重ねて、日々の言葉と行為に平等を育てていきます。 次回テーマは「終活」です。どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。
【成道会特集:お釈迦さまの「中道」を今日に生かす】
2025/12/03
🔶成道会(じょうどうえ)特集|今回の放送でお伝えしたこと 12月8日の成道会に合わせて、お釈迦さまが悟りに到るまでの道のり(四門出遊→出家→苦行と中道→スジャータの乳粥→菩提樹下の成道→初転法輪)を、できごとの順にたどりました。物語としての面白さだけでなく、「いま私がどう生きるか」へつながる視点も添えて解説しています。 🔶放送の流れ(ダイジェスト) 出発点:王子シッダールタの不安・豊かな生活を送りながらも、心は満たされなかった——ここに「苦(ドゥッカ)」の自覚が芽生えます。四門出遊:老・病・死・出家者との遭遇・老い・病い・死の現実に直面し、「苦を超える道」を探す決意が生まれます。出家と6年の苦行・ストイックな苦行を徹底するも、「苦行そのものでは悟れない」と見切りをつけ、中道へ。転機:スジャータの乳粥・心身を整え、再び“見る力”を取り戻す準備段階。成道:菩提樹下の瞑想・煩悩(誘惑)を見極め、明けの明星のころ「目覚め(ブッダ)」に到達。初転法輪:鹿野苑で五比丘に説く・四諦と八正道を示し、仏教の車輪が回り始めます。🔶放送で押さえたキーワード・ブッダ=「目覚めた人」:新発見ではなく、元からある真理への到達。・中道:快楽と苦行の両極端を離れた実践の道。・四諦と八正道:苦の事実と、その終息に向かう具体的な実践指針。・臘八会(ろうはちえ):多くの寺院で12/8に営まれる成道の法会名。 🔶エピソードの読みどころ(番組の視点)・「なぜ“苦行”ではなく“中道”なのか?」——身体をすり減らす修行から、心身を調える実践へ。・「最初に説いた相手が“かつて去った五比丘”である意味」——関係の修復と普遍性の示し。・「科学的知見と信仰的伝承の重ね合わせ」——史実(地名・人名・法要)と伝承(明星・49日瞑想など)を区別して紹介。・「現代への置き換え」——“目の前の苦をどう見るか”“中道を日々の選択にどう落とすか”。 🔶放送内の具体例(こんな話をしました)・老・病・死を「見ないままにしない」ことの効用。・SNS時代の“過剰な苦行”と“過剰な快楽”——心身のバランスを取り戻す「中道」のヒント。・仕事・家庭・介護など、揺らぎの中で「いま取れる最善」を選ぶ視点。・“悟りは遠い理想”ではなく、「苦を正しく見る」小さな実践の継続だという提案。 🔶今回のまとめ成道会は、「苦」を避けずに見つめ、中道を実践へつなげる日です。四門出遊から初転法輪までの道のりを、歴史と伝承の双方から確認し、今日の暮らしの“選び方”に落とし込みました。 🔶次回予告次回は「仏教と人権」。尊厳・平等・差別観と、仏教の視点を重ねてお届けします。 🔶出演お話:熊本市中央区京町(きょうまち)・仏嚴寺(ぶつごんじ)    高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん     進行:丸井純子(まるい じゅんこ)
【報恩講(ほうおんこう)】とは
2025/11/26
浄土真宗で最も大切な年中行事が報恩講です。宗祖・親鸞(しんらん)聖人のご命日にちなみ、仏さまのご恩、そして教えを伝えてくださった先人のご恩に「報(むく)いて恩に謝する」法要として営まれます。 🔶日にちと暦を整えます 親鸞聖人のご命日:旧暦11月28日(新暦換算では1月16日)。 本願寺派(西本願寺)では、宗祖のご命日に合わせて御正忌(ごしょうき)報恩講を1月16日前後に厳修します。 真宗大谷派(東本願寺)では、11月21日〜28日に報恩講を営むのが通例です。 旧暦(太陰太陽暦)は月の満ち欠けを基本とするため年日が短く、閏月で季節のずれを調整してきました。明治以降は太陽暦(新暦)へ移行し、法要日程の運用に両派の伝統が残っています。 🔶報恩講のはじまり 第3代本願寺門主・覚如(かくにょ)上人(親鸞聖人の曾孫)が、法要の次第を整えた『報恩講式(ほうおんこうしき)』を撰述。 その子の存覚(ぞんかく)上人が内容を整備・普及に尽力しました。 第8代・蓮如(れんにょ)上人の時代には、全国の寺院・道場へと広く定着していきます。500年以上に及ぶ歴史をもつ行事です。 🔶報恩講で何をするのか お勤め:正信偈(しょうしんげ)などをお唱えします。 ご法話:阿弥陀如来の本願と親鸞聖人のご遺徳に学び、念仏の道を確かめ合います。 趣旨:供養中心ではなく、恩を知り、恩に報いる仏事として、今を生きる私の聞法(もんぽう)の場であることが要点です。 🔶歎異抄の一節を手がかりに 親鸞聖人の言行を伝える『歎異抄(たんにしょう)』には、 「親鸞は、父母の孝養のためとて、一念一度も念仏申したること候はず」 とあります。念仏は誰かのために「してあげる供養」ではなく、阿弥陀如来の働き(本願力)に遇(あ)った私の口からおのずとあふれる称名である、という核心が示されています。生死は無常。だからこそ本願に身をまかせ、今ここで聞法し念仏申す。報恩講は、その原点に立ち返るご縁です。 🔶旧暦と新暦のミニ知識 旧暦(太陰太陽暦)は1か月を約29.5日と数えるため、354日ほどで1年になり、季節とずれます。 ずれを補うため閏月(うるうづき)を置きました。 新暦(太陽暦)移行後、本願寺派は新暦1月、大谷派は新暦11月にそれぞれの慣行で報恩講を営んでいます。 🔶今週のまとめ 報恩講は、親鸞聖人のご命日にちなむ「恩に報いる」法要。 起源は覚如上人の『報恩講式』、整備は存覚上人、全国的な普及は蓮如上人。 趣旨は供養中心ではなく聞法中心。阿弥陀如来の本願に遇い、念仏の道を確かめるご縁です。 暦の違いにより、西本願寺は1月(御正忌報恩講)、東本願寺は11月に営むのが通例です。 来週のテーマは「お釈迦さまのお話」です。どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。
【お布施のお話(その二)】 地位・所有・席へのしがみつきは、怒りや不満の芽に
2025/11/19
🔶「お布施(その二)」をやさしく読み解きます 今週は、仏教の実践「布施(ふせ)」を前回につづいて深めます。ことば・人名・仏教用語を正しながら、日常に落とし込める形で整理します。 🔶布施の語源を正します布施はサンスクリット語 dāna(ダーナ) の意訳です。「自分の持ち物・力・心を惜しみなく分かち合い、互いに助け合い喜び合うこと」を指します。なお、日本語の「旦那/檀那(だんな)」は仏教語で、施主・パトロンの意から来ました(関連語:檀家(だんか)・檀越(だんおつ))。浄土真宗では一般に「門徒(もんと)/門信徒」と呼び、「檀家」は用いないのが通例です。 🔶六波羅蜜における布施菩薩の六つの修行 六波羅蜜(ろくはらみつ:布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の第一が布施です。布施は次の三つに大別されます。 財施(ざいせ):金品・物品・時間・労力などを分かち合います。法施(ほうせ):教え・知恵・気づきを分かち合います。無畏施(むいせ):恐れや不安にある人を安心へ導く支え(傾聴・付き添い・安全の提供など)です。いずれも見返りを求めない「贈与の心」が核です。 🔶お金がなくてもできる「無財の七施」財産がなくても今日から実践できる布施が、**無財の七施(むざいのしちせ)**です。 眼施(がんせ):温かなまなざしを向けます。和顔施(わがんせ/和顔悦色施):にこやかな表情で接します。言辞施(ごんじせ):やさしい言葉をかけます。身施(しんせ):体を使って手助けします。心施(しんせ/慈心施 じしんせ):思いやりを向けます。床座施(しょうざせ):席や場所を譲るなど、居場所を提供します。房舎施(ぼうしゃせ):雨宿りの軒を貸す・休ませるなど、憩いの場を与えます。 🔶「床座施」を日常に生かしますバスや電車での席を譲ることは床座施の代表例です。要点は次の三つです。・相手の状況(高齢・妊娠・体調等)に気づく眼施をもつ。・和顔+言辞(やわらかな表情と一言)で申し出る。・断られても気を悪くしない(見返りを求めない)。さらに、職場などで役割やポジションを後進に譲る姿勢も、広い意味での床座施です。執着から一歩離れる修行といえます。 🔶執着から離れるヒント地位・所有・席へのしがみつきは、怒りや不満の芽になります。小さな一歩(席を譲る・順番を譲る・発言枠を譲る)を日々の習慣にすると、心の柔らかさが育ちます。できない日があっても構いません。続けようとする志が、布施のいのちです。 🔶今週のまとめ・布施は dāna の訳で、「惜しみなく分かち合う」実践です。・六波羅蜜の第一で、財施・法施・無畏施の三施を含みます。・無財の七施(眼施・和顔施・言辞施・身施・心施・床座施・房舎施)は、誰でも今日から始められます。・とくに床座施は、席や役割を譲る実践。執着を離れる小さな歩みが、やさしい社会の土台になります。 来週のテーマは「報恩講(ほうおんこう)」のお話です。どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。
【お布施のお話(その一)】 お金がなくてもできる「無財の七施」
2025/11/12
🔶「お布施(その一)」をやさしく整理します 「お布施=お金や物を渡すこと」と思われがちですが、仏教でいう**布施(ふせ)**はもっと広く深い実践を指します。今週は、用語を正しつつ、日常で生かせる形にまとめます。 🔶布施の本来の意味 布施はサンスクリット語 dāna(ダーナ) の意訳で、「自分の持ち物や能力・心を惜しみなく分かち合い、互いに助け合い喜び合うこと」を意味します。見返りや取引ではなく、純粋な贈与の心が要です。 🔶六波羅蜜と三種の布施 菩薩の修行である**六波羅蜜(ろくはらみつ)**のはじめに置かれるのが布施です。布施には大きく三つあります。 財施(ざいせ):金品・物品・時間・労力を分かち合います。 法施(ほっせ):教えや知恵・気づきを分かち合います(僧侶だけでなく、学んだことをやさしく伝える行為全般を含みます)。 無畏施(むいせ):不安・恐れにある人を安心へ導く支え(傾聴・寄り添い・安全の提供など)。 いずれも「相手の利益(やすらぎ)を願う心」が中心にあります。 🔶布施の心得は「見返りを求めない」 「これをしたから、相手は返してくれるはず」という計算は布施の心から離れます。結果や評価に執着せず、ただ相手のためにおこなう——その自由さが布施のいのちです。 🔶お金がなくてもできる「無財の七施」 財産がなくても実践できる布施として、仏教には無財の七施(むざいのしちせ)が説かれます。 眼施(がんせ):温かいまなざしを向けます。 和顔施(わがんせ)(和顔悦色施):にこやかな表情で接します。 言辞施(ごんじせ):やさしい言葉をかけます。 身施(しんせ):体を使ってできる助けをします(手伝い・介助など)。 心施(しんせ/慈心施 じしんせ):思いやり・祈りなど心からの善意を向けます。 床座施(しょうざせ):席や場所を譲るなど、快適な居場所を提供します。 房舎施(ぼうしゃせ):雨宿りの軒を貸す・玄関先で休ませるなど、憩いの場を与えます。 どれも「今日から・ここで」実践できます。 🔶「和顔愛語(わげんあいご)」を合い言葉に 和顔愛語とは、柔和な顔(和顔)と愛ある言葉(愛語)で人に接すること。対面でもオンラインでも、誹謗や刺々しさが生まれやすい時代だからこそ、表情と言葉に温度を取り戻すことが無畏施にもつながります。 ・まずは深呼吸→和顔→ひと言目をやさしく。 ・相手の事情を慮(おもんぱか)る一拍を置く。 小さな実践が、身の回りの空気を確実に変えます。 🔶今週のまとめ ・布施は贈与の心であり、六波羅蜜の第一。 ・財施・法施・無畏施はいずれも「相手の安楽」を願う実践です。 ・結果を求めずおこなうのが布施のいのち。 ・無財の七施(眼施・和顔施・言辞施・身施・心施・床座施・房舎施)は、誰でも今日から始められます。 ・合い言葉は和顔愛語。顔と言葉から、やさしさを広げましょう。 来週も引き続き、「お布施(その二)」をお届けします。どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の 高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。
【お手紙の話】浄土真宗とメディア
2025/11/05
🔶「お手紙(御文章)と本願寺」 浄土真宗の教えが全国へ広がる過程で、大きな役割を果たしたのが「手紙」でした。室町期に本願寺の宗主・蓮如上人(れんにょ しょうにん)が人びとに向けて書き送った文書は、のちに『御文章(ごぶんしょう)』として編纂され、真宗大谷派(東本願寺)では『御文(おふみ)』とも呼ばれます。ここでは、その要点をやさしく整理します。 🔶蓮如上人と『御文章』 ・著者は浄土真宗本願寺派の第八代宗主・蓮如上人です。 ・本願寺派では**『御文章』、真宗大谷派では『御文』と呼びます。 ・門信徒に平易な言葉で教えを伝えるための手紙で、のちに『五帖御文』としてまとめられ、法要やご法話で今も拝読されています。 🔶時代背景(室町時代) ・寛正(かんしょう)の大飢饉や戦乱で、人びとの暮らしは困窮していました。 ・識字率が高くない中でも、朗読・回覧に適した平明な手紙が大きな力を発揮しました。 ・ちょうど宗祖・親鸞(しんらん)聖人の大遠忌(だいおんき)の頃と重なり、教えを正しく広く伝える必要が高まっていました。 🔶『白骨の御文』のエッセンス ・『御文章』で最も知られる一節が「白骨の御文(はっこつのごもん)」です。 ・「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となる身なり」と、いのちの無常を示し、  阿弥陀如来(あみだ にょらい)の本願に身をまかせ、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏して生きる道を勧めます。 ・現在も法要・通夜・ご法話で拝読され、いまを生きる私に向けた言葉として息づいています。 🔶「メディア」としての手紙、そして現代 ・交通・通信が乏しい時代、手紙(文書)は最強のメディアでした。 ・一通の手紙を読み聞かせ・回覧することで、非識字層にも教えが届きました。 ・現代は書籍・新聞・ラジオ・テレビ・インターネットと媒体が移り変わっても、  「誰にでもわかる言葉で、いのちの問題に応答する」という蓮如上人の姿勢は変わりません。 🔶まとめ ・正称は『御文章』(大谷派は『御文』)。著者は蓮如上人(本願寺派 第八代宗主)です。 ・背景には寛正の大飢饉と宗祖大遠忌があり、平明な手紙が教えの全国的な広がりを後押ししました。 ・『白骨の御文』は無常の事実を直視し、阿弥陀如来の本願にまかせる念仏の道を示します。 ・媒体が変わっても、やさしく・正確に伝えることが『御文章』の今日的意義です。 来週のテーマは「お布施(その一)」です。どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の 高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。
【旅と本願寺】 鉄道の時代が参拝を変えた
2025/10/29
秋は旅に出たくなる季節です。なかでも京都(きょうと)は、今も昔も人びとを惹きつけます。 観光地としての賑わいの陰には、「寺院参拝」と「鉄道の発展」が織りなした歴史の流れがありました。 今回は、旅の視点から本願寺と京都の関係をたどります。 🔶一生に一度の「本山参り」でした江戸時代、多くの庶民にとって移動手段は“徒歩のみ”でした。藩をまたぐ移動も容易ではなく、本願寺への参拝は「一生に一度」の大行事でした。やっとの思いでたどり着き、本堂の畳に頬ずりして喜んだ——そんな記録が各地に残ります。参拝は、信仰の確かめと人生の節目を刻む「旅」でもありました。 🔶西本願寺(にしほんがんじ)という「目的地」が育てた旅京都にある西本願寺は、天正19年(1591)に現在地・六条堀川(ろくじょう・ほりかわ)へ移転しました。伽藍の中心は御影堂(ごえいどう)と阿弥陀堂(あみだどう)で、唐門(からもん)・飛雲閣(ひうんかく)などの国宝が建ち並びます。平成6年(1994)には「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されました。“行き先としての魅力”が、遠路はるばるの参拝を後押ししてきました。 🔶鉄道の時代が参拝を変えました明治以降、鉄道が全国に伸び、寺社参拝は「現実的な旅程」になりました。寺院参拝は鉄道会社にとっても重要な旅客需要となり、観光旅行が広がります。本願寺で営まれる大規模法要——たとえば宗祖・親鸞(しんらん)聖人の大遠忌(だいおんき/概ね50年ごと)は、全国からの参拝者を呼び込みました。「歩いて一生に一度」から「列車で計画的に」へ。参拝のかたちは、交通の発達とともに大きく変わりました。 🔶京都の観光基盤と門前の宿が支えました鉄道網の整備は京都への人流を回復・加速させ、観光都市としての基盤づくりを後押ししました。本願寺周辺には、参拝者を受け入れる門前旅館や講中宿(こうじゅうやど)※が発達。今日ではシティホテルから歴史ある旅館まで選択肢が広がり、海外からの旅行者も伝統的な宿に滞在して文化に触れています。「寺を目的に泊まる」という旅のかたちが、今も息づいています。※講中宿=講(信徒の参拝グループ)を受け入れる宿。 🔶数字で見る“いま”の京都(要点)近年の京都は国内外からの旅行者で活気づいています。観光地・宿泊・交通の受け皿が整い、寺院参拝と観光の相乗効果が続いています。かつての「団体参拝の列車旅」から、「個人がネットで計画する旅」へと多様化が進みました。 🔶今週のまとめ旅が容易でなかった時代、本願寺参拝は人生を賭す「一度の旅」でした。鉄道の発展は参拝文化を大きく変え、京都という都市の観光振興にも連動しました。本願寺という確かな目的地が、信仰の道行きと旅の楽しみを結び、今に続く人の往来を育ててきたのです。 来週のテーマは「お手紙のお話」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

Podcast reviews

Read 高千穂さんのご縁です。 podcast reviews


0 out of 5
0 reviews

Podcast sponsorship advertising

Start advertising on 高千穂さんのご縁です。 relevant audience podcasts


What do you want to promote?